詳細
創建 | 1623年(元和9年) |
開山 | 慶順(京都清水寺の僧) |
開基 | 不詳 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
縁起
京都の清水寺より、 全国巡錫を経て長崎に辿りついた慶順は、信心修行を怠らず布教に努め、その説法を聞き観音様に帰依する者も多かったと言われています。慶順は長崎奉行の長谷川権六より長崎での寺院建立の敷地を与えることを約束され、然るべき土地を得て寺院を建立できるよう千手観音に祈願。するとある夜、東の方角に白く輝く雲のようなものが立ち昇っている光景を目にします。夜明けを待ってその不思議な場所へ行ってみると、そこには一つの大石があり、その大石からは光が発せられていました。慶順は観音様のお導きと喜び、この地に念願の堂宇を建立し京都清水寺と同様、檀家を持たない祈願寺として長崎山清水寺を創建しました。
清水寺の縁起
禁牌石ではない・・・?
禅宗系のお寺の山門入り口付近には禁牌石(葷酒牌)がよく建てられています。黄檗清規にはこのように、高さ約180cm~210cm、幅約36cm、石で作り山門の外に建てるという具合に書いてあります。ところが、この清水寺の聖天堂へと向かう門の前には、それと似たようなものではあるが、違う文字が刻まれていました。
「不許五辛酒肉入院内」
五辛酒肉、院内に入るを許さず?
読み方はこんな感じでしょうか。ほぼ意味合い的には同じだとは思うのですが、この書き方は初めて出会いました。(知らないだけなのかもしれませんが・・・) 禅宗系以外の宗派が、それに習い作ったのか、歴史的背景がわかりませんが、なかなか驚きでした。そして、側面には以下のように刻まれていました。(一部変換できない漢字あり)
左側面:
財邑與酒名為三惑臣耽喪家君重亡國肉障大慈辛遮淨徳懐道君子斬穢不欲
右側面:
殺生入四趣受苦三塗畢徳生人道中短命多憂疾疫病癭難苦壽短常沈没有智點人殺心寧放逸
五辛=葷、院内=山門と捉えることはできますので、ほぼ同義でしょうか。
黄檗天井に木庵禅師の額
この清水寺の本堂を寄進した何高材という長崎の貿易商は、長崎崇福寺大雄宝殿も寄進しており、随所に中国様式の影響がみられる。このお寺は真言宗ではあるが、なんと本堂には「黄檗天井」。そして、本堂内部には黄檗山萬福寺二代住持木庵性瑫禅師の額がかけられています。おそらく清水寺の平成大改修の際に、この額も修復されたのではないかと思われます。
写真
アクセス
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長崎県長崎市鍛冶屋町8-43