目次
詳細
創建 | 天正19年(1591年) |
開基 | 本願寺第11世・顕如 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
別称 | お西さん |
縁起
天正19年(1591)秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は六条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められました。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した文禄元年(1592)、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生されました。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれましたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状があったので、教如上人は隠退して裏方と呼ばれました。これには大坂本願寺の退去に際して、講和を受けいれた顕如上人の退去派と信長との徹底抗戦をとなえた教如上人の籠城派との対立が背景にありました。その後、教如上人は徳川家康に接近し、慶長7年(1602)家康から烏丸七条に寺地を寄進され、翌年ここに御堂を建立しました。これが大谷派本願寺の起源で、この時から本願寺が西と東に分立したのであります。
これより先、本願寺は慶長元年(1596)の大地震で御影堂をはじめ諸堂が倒壊し、阿弥陀堂は被害を免れました。翌年に御影堂の落成をみたものの、元和3年(1617)には失火により両堂や対面所などが焼失しました。翌年阿弥陀堂を再建し、18年後の寛永13年(1636)に御影堂が再建されました。このころ対面所などの書院や飛雲閣、唐門が整備されました。ところが元和4年に建立された阿弥陀堂は仮御堂であったので、宝暦10年(1760)本格的な阿弥陀堂が再建され、ここに現在の本願寺の偉容が整備されたのであります。
本願寺の歴史|お西さん
年間行事
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1日
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9日〜16日
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11日
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アクセス
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〒600-8501
京都市下京区堀川通花屋町下る