詳細
創建 | 安永3年 |
開山 | 源光大和尚 |
開基 | 伊達家七代重村公妻観心院殿 |
本尊 |
縁起
広瀬橋付近一帯は藩政時代には下河原と称して、南方から奥州街道を北上して仙台城下に入る関門でありました。 さて、今から約二百数十年前寳暦年間以後各時代に亘って、東北地方は冷害による大凶作大飢饉に襲われたことがありました。その都度食に飢えた人々が仙台の御城下に行ったら何か食物があろうと果敢ない望みを持って福島方面、山形方面などから 広瀬橋附近に集まって来たのです。仙台方面も同様凶作で食物が無いことは同じですから藩内からも集まって来たのですが、藩ではそういう人々を憐んで下河原に救助小屋を設け飢饉に仆れた者は厚く葬ってやりました。
寺院録より
記録によれば寳暦5年45万石、實らず死者5万、天明2年56万石實らず死者15万、 保4年76万石實らず死者10万、天保7年(125年前)の飢饉は最悪のもので92万石實らず死者30万人に及んだと伝えられております。 (天下の雄藩伊達藩でさえ62 万石であった) 現在でも当寺桃源院に叢家というのが残っていてその辺を掘ると当時餓死した人 のお骨がザクザク出て来る。そういう悲運に仆れた無縁仏を憫んだ伊達家第7代重村公の夫人近衛氏観心院が法会修行の道場として安永3年(二百数十年前)黄檗宗 大年寺の末寺として源光和尚を開山に自ら開墓されたのが桃源院であります。それ以来毎年盂蘭盆の8月16日には広瀬川において川施餓鬼流灯会を修行する慣例となって、全市の善男善女が供養に参詣してこの辺界隈は殷賑を極めたそうであります。
その後歳月の遷り変りからそういう行事も追々淋れて来たので、南仙台振興懇話会が仙台商工会議所に諮り、お施餓鬼と同時に花火大会を催し悲運の万霊を慰めると共に全市の善男善女が回向旁々レクリエーションの場となっております。
写真
歴代
開山 | 源光大和尚 |
2代 | 蓮峯*秀 |
3代 | 萃山*峻 |
4代 | 秀山*英 |
5代 | 守節*養 |
6代 | 船宗*眼 |
7代 | 志成廣道 |
8代 | 志道智力 |
アクセス
〒984-0816
宮城県仙台市若林区河原町2-14-10