目次
詳細
創建 | 元禄16年(1703) |
開山 | 慧極道明 |
開基 | 大久保加賀守忠増 |
本尊 |
縁起
元禄16年小田原を襲った大地震による死者を供養するため、藩主であった大久保加賀守忠増が建立したのがこの寺である。当時、幕府の方針で、新規の寺の建立は禁じられていたが、幸い領内の府川村にあった西光寺が無住であったことから、その寺を譲り受けることとして幕府の許可をとった。許可が降りたのが宝永4年(1707)、慧極禅師を住職としてすべてが歓声したのは正徳5年(1715)のことである。
ちなみに記録によれば、地震とあわせて津波や火災もおこり、天守、城郭のほとんどと城下の建物の半数以上が倒壊した。家中、町中、郷中、旅中、合わせて2308名の死者があったという。
このように、供養寺という特殊な寺であったため、檀家もなかったことから、時移り明治8年、火災で板橋光輪寺の地蔵堂が焼失したおり、同寺へ本堂を讓ることとなった。したがって、現在の地蔵堂は、慈眼寺の旧本堂移建したものである。
寺院録
歴代 ※長松派法系字は子々孫々「正」の字を用いる
開山 | 慧極道明 |
2代 | 独園元石 |
3代 | 龍音浄妙 |
4代 | 徳門衍三 |
5代 | 太嶺衍秀 |
6代 | 太嶺衍秀 |
7代 | 東林*陰 |
8代 | 金陵如泉 |
9代 | 蒼海如旭 |
10代 | 一山通勉 |
11代 | 一山通勉 |
12代 | 巨海*深 |
13代 | 欽山弘勤 |
14代 | 精一仁節 |
15代 | 善勝廣孝 |
16代 | 正典廣詮 |
17代 | 健一智誠 |
18代 | 仁明徹 |
写真
アクセス
住所
〒250-0045
神奈川県小田原市城山2-27-6