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柏尾山大善寺

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目次

詳細

創建伝・養老2年(718年)
開山伝・行基
開基不詳
本尊薬師如来
霊場甲斐百八番霊場第十八番札所
甲斐八十八霊場第七十七番札所
甲州東郡七福神巡拝第一霊場

縁起

正確な創建年代は不明だが、寺伝によれば奈良時代に行基の開創とされている(延慶3年(1310年)『関東下知状』)。本尊である薬師如来像の様式などから、実際の創建は平安時代前期と考えられている。薬師堂は天禄2年(971年)に三枝守国による建立とする伝承がある。天文14年(1545年)の『大善寺諸堂建立炎上記』によれば、在庁官人として甲府盆地東部の東郡地域で勢力を持った古代豪族である三枝氏の氏寺とされる。

大善寺東方の甲州市勝沼町柏尾には柏尾山経塚が所在し、平安時代の康和5年(1103年)の年記を有する経筒が出土している。銘文には三枝氏の一族である三枝守定・守継の名が見られる。経筒の銘文によれば、康和2年正月に山城国乙国郡石川村出身の勧進僧・寂円が、山梨郡牧山村の米沢寺において千手観音宝前において発願したという。康和5年3月24日には完成した経典が米沢寺から大善寺にあたる柏尾山寺往生院へ移され、同年4月3日に往生院院主・堯範により開講演説・十種供養の行事が行われると、柏尾山に埋納されたという。なお、経典が書写された「米沢寺」は後の米沢寺雲峰寺の前身寺院と推定されており、山梨市牧丘町杣口に所在する金桜神社奥社遺跡に比定する説がある。

寺伝では養老2年(718年)、行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源であるとされている。甲州葡萄の始まりは行基が法薬として葡萄の栽培法を村人に教えたことであるともいわれている。本尊の薬師如来像の持物は長く失われていたが、元は葡萄を持っていたという伝承があり、現在は左手に一房の葡萄を載せた姿に復元されている。こうした由来と、現在は寺内でワインを醸造して参拝客に振舞っていることから「ぶどう寺」とも呼ばれる(薬師如来像の右手は通常は掌を正面に向ける施無畏印であるが、大善寺の薬師如来像は右手を膝前に垂下している)

Wikipedia

大善寺伝説

養老2年(718年)僧行基が甲斐国を訪れたとき、勝沼の柏尾にいたり、日川の渓谷の多いわの上で修行したところ、満願の日、夢の中に、右手にぶどうを持った薬師如来があらわれたといわれています。

行基はその夢を喜び、早速夢の中にあらわれたお姿と同じ薬師如来を刻んで安置し、寺を開山したのが、今日の柏尾山大善寺であります。

以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬のぶどうの作り方を村人に教えたので、この地にぶどうが栽培されるようになり、これが甲州ぶどうの始まりだと伝えられています。

大善寺伝説は、仏教渡来とともに大陸から我が国にもたらされたぶどうが、薬師信仰と結びついて、この地に伝えられたことを指すものとして理解されます。

境内掲示より

写真

アクセス

住所

〒409-1316
山梨県甲州市勝沼町勝沼3559

柏尾山大善寺山門

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