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詳細

創建戦国時代
開山潮音道海禅師
開基法城院殿最術慶勝大姉?
本尊延命地蔵尊

縁起

戦国時代に、湯原城主であった依田美濃守が先代(正法院殿)の後室(法城院殿最術慶勝大姉)の庵室を拡張して真言宗寺院として開基したのが始まりとされます。

寺院名の法城院は法城院殿の戒名から付けられ、玉井山という山号は玉のような清らかな水が湧く井戸ということで、水が人の渇きを潤すように本尊・延命地蔵尊の功徳が玉の井戸のように地元を潤すように願って、玉井山と付けられたのでしょう。湯原の北側にある法城院の境内からはいまでもこんこんと湧き出す水が湯原を潤しています。

延宝3年11月に鋳造されたその鐘の銘文によりますと、寛文年間に住職であった白心和尚は本尊・延命地蔵尊の傷みがひどくなったのを嘆き、十方の信徒に寄付を募ったところ、思いもよらず多額の浄財が集まり、余った資金を使って鋳型で1寸から6寸の千躰の地蔵尊を造り修復された本尊の脇にまつり、また口径2尺2寸・高さ3尺5寸・重さ百貫の梵鐘を造り本堂の前に懸けたとのことです。

その梵鐘の銘文に由来を書いたのが当時、地元の曹洞宗醫王山泉龍院の第5代住職であった耕隠義雲和尚です。耕隠義雲和尚は、泉龍院の大鐘楼を延宝元年に鋳造してその名を止めていますが、不思議なことにその後泉龍院の世代から削除されてしまいます。

それは上州南牧にある黒瀧山不動寺を中心に活躍していた、黄檗宗黒滝派祖・潮音道海禅師の教えに深く共鳴して、潮音禅師の法嗣・智堂元廣の弟子となり、耕隠(江雲)浄興と名を改めたものと推察されます。

潮音禅師は延宝5年(1677)4月8日、御代田に普賢堂(現在の普賢寺)の本尊である普賢菩薩を開眼し、隣の真言宗・真楽寺で20日間にわたって普賢行願品の講義をされた時、耕隠和尚は潮音禅師を迎えて玉井山法城院を改めて開山してもらい、自らは、自らは2代となりました。

元禄8年(1695)1月28日、耕隠和尚の申請により、黄檗宗大本山萬福寺より正式に認可され、潮音禅師を中興開山として黄檗宗の寺院として再出発したのです。

その後、元禄11年6月の棟札が示すように平林彦左衛門吉住の寄進によって本堂再建工事が行われ、本堂、善導、山門など主な伽藍がそろったと考えられます。

歴代

開山潮音道海
2代耕雲浄興
3代了開浄智
4代楊泉衍澤
5代蟠龍如昌
6代梅宗如雪
7代金龍眞珠
8代南嶺衍瑞
9代祖関如透
10代敬仲眞美
11代潭龍通珠
12代龍峰通高
13代泰山仁超
14代百順仁守
15代義勝仁明
16代昭典廣恵
17代玄嶺廣雲
18代猛志仁達
19代正史廣明

写真

アクセス

住所

〒384-0307

長野県佐久市湯原610

玉井山法城院本堂

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