目次
詳細
創建 | 正保2年 |
開山 | 鉄牛道機 |
開基 | 古郡孫太夫重政 |
本尊 | 地蔵菩薩座像(国重要文化財) |
縁起
駿州藤郡須津庄中里村の住人、古郡孫太夫重政は寛永4年(1627年)駿州代官となり、富士川治水と新田開発の工事に着手し、正保2年(1645年)富士川築堤と新田開発の事業は一応の完成を見ました。ちょうどその年重政公の家臣で野寄依空という人の親しい三州の名僧沢隠という和尚が、新田開発ができたこの地に一寺を建立したいという強い希望があり、野寄氏からこの願いを重政公に真源いたしましたところ、重政公は「此の新田を開発したのは、全く自分の利益を考えたのではなく、国の利益のために農民を救ったのである。」と和尚の念願を入れて土地を寄付し、天岳寺という(臨済宗)一寺を建立し、沢隠和尚を住持として迎えました。そして寛文4年(1664年)5月22日重政公は66歳で亡くなりました。その葬儀は当時小田原紹太寺の住持で小田原城主稲葉正則(老中)の尊敬篤かった。
正保2年重政公によって創建せられた天岳寺はその後幾度かの災厄にあって衰微し住持するものもなくなっていましたので、重年公は幸い富士川治水の大光寺も完成したので、延宝2年鉄牛禅師を迎え開山とし寺の再興を願われました。鉄牛禅師は当時小田原の紹太寺、江戸の瑞聖寺等の寺の経営に多忙な身でありましたが、重年公の熱意に答え開山となることを承諾され、天岳寺を改め重年公の法名瑞林寺殿を取り、瑞林寺と命名。黄檗宗となりました。
寺院録
歴代 ※長松派法系字は子々孫々「正」の字を用いる
開山 | 鉄牛道機 |
2代 | 超宗元格 |
3代 | 獨心*寂 |
4代 | 龍岡元潤 |
5代 | 松洞元翠 |
6代 | 遠渓元脉 |
7代 | 活宗元眼 |
8代 | 天湫元龍 |
9代 | 別峰元見 |
10代 | 瑞岩元惺 |
11代 | 泰門元豊 |
12代 | 賢堂浄升 |
13代 | 北宗*秀 |
14代 | 岷江浄派 |
15代 | 大年浄畊 |
16代 | 極明*公 |
17代 | 慧明*公 |
18代 | 東渓*輝 |
19代 | 北山*栄 |
20代 | 慧泉*光 |
21代 | 春江如昌 |
22代 | 敬岩眞崇 |
23代 | 續傳如燈 |
24代 | 舜田*耕 |
25代 | 泰道眞運 |
26代 | 又梅通運 |
27代 | 猶石弘潤 |
28代 | 又梅通運 |
29代 | 烏能弘融 |
30代 | 確朗仁蘂 |
31代 | 利恭弘良 |
32代 | 雲嶺仁徹 |
33代 | 秀嶺*峭 |
34代 | 秀道*皓 |
35代 | 建一智誠 |
36代 | 修邦智常 |
37代 | 正章*通 |
写真
アクセス
住所
〒416-0909
静岡県富士市松岡489