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詳細

創建享保13年(1728)
開山大堅元用
開基野中六左衛門
本尊

縁起

開山の大堅元用和尚は上谷保村(現在の国立市谷保)で延宝4年に矢沢家で生まれた。矢沢家は矢沢豊後守といい、関東鋳工頭であった。初祖は信州佐久郡矢沢庄の出身で、矢沢豊後守良春は奈良大仏の制作に参加したと伝えられる。出家の動機に、師僧との因縁は不明であるが、元禄15年26歳のときに実山道傅の法を嗣いでいる。

享保7年、血縁者の矢沢藤八とともに新田開発と一寺建立の願を発し、上谷保村の農民6人と江戸の商人4人を誘い瀑布に新田開発の願書を提出した。翌享保8年に許可を得ることに成功したものの新田開発の権利金が納められず、窮地に立たされていた2人は江戸で穀物商をしていた上総国望陀郡万国村(千葉県君津市)出身の野中屋善左衛門に相談した。当初大堅和尚らは新田に「矢沢新田」と名付けようと考えていたが、善左衛門の名字「野中」を使用する、土地を割り出すことの2つを呂言う会して援助を受け開発が進められた。

大堅和尚は享保9年草庵を結び、衆化につとめていたが、小平市の円成院という寺を建立していて、享保12年に小平市に引寺して開創していたから引寺を寺社奉行に申請、享保13年に許可され自得山鳳林院を創建した。大堅和尚52歳のときであった。

寺院録より

歴代

開山大堅元用
2代千峰浄勢
3代禅関浄透
4代鐵心衍肝
5代大拙普器
6代象耕通田
7代雪江眞棹
8代桑岳如秀
9代拙袋通巧
10代爲霖通龍
11代黙禅弘説
12代東岳通俊
13代文雄弘秀
14代智丈仁徳

写真

アクセス

住所

〒185-0005

東京都国分寺市並木町2-33-13

蓮華

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