縁起だるまの由来
縁起だるまは高崎だるまとも言われ、古くから多くの人に親しまれています。その特徴は七転び八起きと言われるように転がしてもすぐに起き上がり、「不倒翁」とも言われます。その重心が低く安定した形は心の置き所を意味し、いかなる困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力を表しています。また、まろやかな形は心のあり方を示し、穏やかで円満な人間性を表しています。
この「縁起だるま」といえば、少林山達磨寺。
達磨寺では、古来、開山である東皐心越禅師の画かれた一筆達磨像を、一年の禍を除く御札として正月に近在の家々に配っていたそうです。
天明の大飢饉(1782~1788年)の後、九代目の東嶽和尚は苦しむ農民の救済のために、この一筆達磨像をもとに木型を彫り、紙張抜きを造り、目無し達磨の作り方を伝授しました。そして、正月の七草大祭(1月6,7日)の縁日に掛け声勇ましく売られるようになったのが、始まりとされています。この一筆達磨像は実在の菩提達磨という方です。その坐禅の姿が縁起だるまの原型になっています。
縁起だるまのデザイン
縁起だるまは非常にデザイン性の高いもので、縁起のよい様々なものが盛り込まれています。よくみるとたしかに鶴や亀がデザイン対になっているのがわかります。
鶴は千年亀は万年
眉 | 鶴 |
髭 | 亀 |
松竹梅
眉毛/髭 | 松 |
眼 | 竹 |
鼻 | 梅 |
実在したダルマさん
縁起だるまのモデルとなった方は菩提達磨という実在した方です。南インドの香至国の第三王子としてお生まれになりました。出家してお釈迦様からの教えを継ぎ、二十八代目となられ、より多くの人々にこの教えを広めようと、布教伝導のためにはるばる中国へ渡りました。少林寺での「面壁九年」は有名です。長い間ひたすら坐禅をされました。福だるまの形はまさしくこの坐禅の姿であり、達磨大師の精神がそのまま具わっています。
禅宗開祖 西天二十八祖 達磨大師
禅宗の開祖として初祖達磨大師とも呼ばれる達磨大師ですが、西天二十八祖とも呼ばれます。仏教では、インドのことを「西天」と呼び、中国のことを「東土」や「震旦」と呼びます。つまり、西天二十八祖とは、インドにおける28人の祖の系譜を意味します。開祖はもちろんお釈迦様、釈迦牟尼仏です。
それでは、28の系譜をおっていきましょう。
お釈迦様から伝えらえれた禅の教えが、摩訶迦葉に伝えられ、そこから連綿と受け継がれ、28代目になる達磨大師へと受け継がれていきます。これがインドにおける禅の系譜です。ここから東土(震旦)六祖へとつながり、舞台が中国に変わっていきます。
縁起だるまの眼入れ/開眼/納め方
開眼/眼入れ
縁起だるまを求めたときは、まだ眼が入っていない目無し達磨です。少林山達磨寺等の北関東等の黄檗宗寺院では、和尚によって達磨の開眼供養をしていただけます。和尚の猛々しい声のもと、向かって右目に一点の水墨が入れられます。
そして、心を静かに調えて達磨に向かい合い、願いを込めながら墨(筆ペンでOK)で開眼された眼を大きくし、眼を書き入れます。
達磨大師のようにいかなる困難も克服して、願い事が成就して達磨さんの両眼が開けられるよう、正しい心の眼を開いて精進いたしましょう。
納め方
一年間無事に過ごせた時、願いごとが叶えられた時だけでなく、一年間の感謝の心を込めて、その年の瀬に左側の眼を書き入れます。つまり、1年間は向かって右目のみの片目でお過ごしいただきます。
上毛かるた「え」
『上毛かるた』が誕生したのは、昭和22年12月のことです。
上毛かるた
このころは、日本が敗戦という悲しい運命に終わった翌々年で、国中が荒れ果て、食べるものも着るものも十分でなく、人びとの心は悲しみや無力感であふれていました。後に財団法人群馬文化協会の初代理事長となる浦野匡彦氏は、「このように暗く、すさんだ世の中で育つ子どもたちに何か与えたい。明るく楽しく、そして希望のもてるものはないか。」と考えていました。この想いが形となり『上毛かるた』が誕生しました。読札は公募により集められた題材から、18人の編纂委員がまとめました。絵札は小見辰男氏が描いたもので、昭和43年に本人の要望により全札が描きかえられました。読札裏の解説は、丸山清康氏によるもので、以降、定期的に新しい情報に書きかえられています。発行から半世紀以上が経ち、『上毛かるた』は、群馬県の文化として位置づけられてきています。
群馬県民なら知らない人はいない「上毛かるた」
この上毛カルタにも縁起だるまは登場します。子供の頃は公民館で練習に励みました。大会となると上州名物 登利平の「鳥めし」が楽しみでした。
「縁起だるまの少林山」
縁起だるまはなぜ赤い?
縁起だるまというと赤色のイメージが強いと思います。なぜ赤いのか? すでにお気づきの方も多いかと思いますが、デザインやダルマさんの紹介にある画像のようにダルマさんご自身が赤い衣をまとっていたことに由来しています。
ですが、いまは赤色だけが縁起だるまというわけではなく、多種多様な色の縁起だるまがあります。
もともとが赤色ということもあり、紅白でだるまをつくり、縁起物としての魅力をさらにアップさせたりしています。また、開眼のところで紹介しただるまさんは黒色です。だるまを制作するだるま屋さんによっては、色によって縁起を変え、商売繁盛や開運吉祥等様々な色のだるまさんを作られています。色だけでなく、「合格だるま」や「必勝だるま」等も有名です。
日本三大だるま市
毘沙門天大祭だるま市
昔より、旧正月の7日・8日・9日の三日間は、「毘沙門天王」が娑婆に下られて親しく人々の願い事を聞いて下さるといわれています。 今では「毘沙門天大祭」として数十万人の人々で賑わっています。このお祭りには全国からダルマ屋が店を出すことでも有名で 日本最大の「ダルマ市」としても知られています。
また大祭に出店する露店は一キロを超え、その賑わいは「東海一の高市(たかまち)」と表されています。
毘沙門天大祭
深大寺だるま市
正式には「厄除元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)」といい、比叡山中興の祖「慈恵大師」の遺徳をたたえる縁日として、江戸中期頃に始まったといわれています。深大寺でも最大の行事であり、元三大師様のご霊験を崇める多くの人々が、境内にお越しになります。江戸時代の文献には、参詣者が「近郊近在より群参す」と記されているほど、深大寺の元三大師大祭は歴史と伝統のある行事です。
調布観光ナビ
少林山達磨寺七草大祭だるま市
七草大祭は開創当時より行われる伝統行事です。
1月7日の午前2時が本尊様が降臨される吉日とされ、前日の6日から前夜祭として夜通し行われる星祭です。
本尊様が降臨される7日午前2時に星祭大祈祷が厳修され、本尊様のご利益を求めたくさんの参拝者で賑わいます。
200年程前の天明年間、9代目の東嶽和尚がだるま作りを伝授し、だるまが作られるようになると、だるま市も同時に行われるようになりました。
ご祈祷|少林山達磨寺
お焚き上げ供養/どんと焼き
成就しただるま・その他の御札等は基本的に お授けいただいたお寺・神社に 御礼参りをし納めましょう。新型コロナウイルスの感染拡大により、御礼参りができないケースもあるかもしれません。その場合は、近くのお寺や神社に相談の上、納めましょう。都市部ではお焚き上げ供養が消防上行えないお寺や神社もあります。一年間お護りくださった、だるま等を感謝の気持ちを忘れず奉納することで、年々の進歩発展につながるでしょう。
少林山達磨寺では、毎年1月15日にどんと焼き、お焚きあげ供養が盛大に行われています。