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天心山神勝寺

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詳細

創建昭和40年(1965年)12月2日
勧請開山益州宗進禅師
開基神原秀夫|前常石造船株式会社社長​
本尊弥勒菩薩​
寺号由来開基の父 神原勝太郎に因る​

縁起

天心山神勝寺は、昭和40年(1965)12月2日益州宗進禅師(臨済宗建仁寺派第7代管長)に深く帰依された開基神原秀夫氏が禅師を開山に招請して建立された臨済宗建仁寺派の特例地寺院である。
神勝寺は亡くなられた方々の供養の場であると共に、境内には無明院や国際禅道場など多くの伽藍が建ち並び、また表千家不審庵の古図を忠実に再現した「秀路軒」などの茶室を設け、禅と茶道を根本として日本のみならず海外にも広く門戸を開き、臨済禅を通じて今まさに生きている方々が「今を生きる」ために己を見つめ共に研鑽する場である。

神勝寺概要

伽藍

総門(移築)

総欅造りのもので、江戸時代には京都御苑内にあったそうですが、明治時代初期に現在の京都国立博物館の前に移築されました。第二次世界大戦後には、日本赤十字社の所有となっていたとのことですが、敷地および建物の処分・撤去が決定し、旧賀陽宮邸と共に開基が譲り受けたものだそうです。筋塀には5本線がひかれ、格式の最高位であることを表しています。

総門

多宝塔(模擬建築)

天心山神勝寺多宝塔
多宝塔

滋賀県大津市石山寺(東寺真言宗大本山)の国宝 多宝塔を模して建立されました。当塔は大日如来が安置されています。
禅宗で多宝塔を建立するのは珍しいのではないかと思います。大日如来を安置していることも禅宗では稀有であり、石山寺が快慶作の大日如来であることから忠実に模していることが伺えます。石山寺多宝塔は建久5年(1194年)建立で、日本最古の多宝塔であり、当時の姿を現代に伝える貴重なものです。

五観堂

建物の写真ではありませんが、こちらは食事処となっており、神勝寺うどんのみを提供。雲水箸と持鉢でいただき、雲水時代を思い出しました。また五観の偈が記された書類もあり、修行僧さながらの作法でいただきます。

天心山神勝寺うどん
神勝寺うどん

含空院(移築)

天心山神勝寺含空院
含空院

滋賀県臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物です。含空院は、永源寺開山正燈国師の塔庵として永和3年(1377年)に考槃庵の名で建立されました。応永21年(1414年) 将軍足利義持公が永源寺来山の折、名を含空院と改められました。当時の建物は永禄6年(1563年)の兵火で焼失し、正保4年(1647年)に再興されて以来、歴代住持の住居及び修行僧の研鑽の場でありましたが、この地に移築されました。

大徹堂(移築)

大徹堂は江戸時代後期に建てられた鎌倉・建長寺専門道場を移築したものです。一般非公開ですが、特別に拝観させていただきました。瓦葺であった屋根を移築の際に、創建当初の茅葺きに戻し、この地に移築をしたそうです。堂内も拝観させていただき、往時の情景が頭に浮かびました。

天心山神勝寺大徹堂
大徹堂

開山堂(模擬建築)

天心山神勝寺開山堂
開山堂

鎌倉時代の名作といわれる国宝 高野山金剛峯寺不動堂を模したものです。京都の陶工村田陶苑作の開山像を安置しています。堂内は拝見できず。屋根の袖の切り出し方が特徴的です。この形式なんと呼ぶのだろう・・・
扁額は、元円覚寺派管長松尾太年老大師の筆とのことです。

洸庭

石のランドスケープの上に、伝統的なこけら葺きの技法を応用し、建物全体を木材で柔らかく包んだ舟型の建物が、まるで浮かんでいるように建っています。建物の中では、目の前に一面の水辺が広がり、水、波、そこに射すかすかな光を全神経を研ぎ澄まし、全感覚的に体験します。

天心山神勝寺洸庭
洸庭

写真

アクセス

住所

〒720-0401
広島県福山市沼隈町大字上山南91

天心山神勝寺洸庭

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